2021年05月08日 (筆者:比喩ちまき)
子供の頃、私は兄のお古であるTVゲームを片っ端から遊んでいた。
ファミコンにスーファミ、少しばかりのセガサターンを嗜むゲームっ子。
そら子供だから、日曜日の戦隊シリーズやらアニメを観ていた記憶もあるさ。
でも自分で動かして物語が進むってのは、同じTVの向こう側でも天地程の差を感じたよねうん。
時代も時代。ロクに説明書も無いソフトばっかりで、チュートリアルなんてありゃしない。
死亡数と感覚で覚えていく…そんな愉しさもあったかも知れない。
ファミコンが主なのもあってクリア出来ない事も多かったが、動くだけで楽しかった。
↑押して扉開けるとか、↓押してジャンプで箱壊すとか子供には難儀よ。
ソフトの差し方も、空中で二回転させると映り易くなるとか工夫したもんです。端子舐めてた彼は元気にしてるだろうかね?
──で話を戻すが。子供だからと謂うのもあるのだろうか。どんどんゲームの沼にハマる。
赤いAボタンが「押してくれ。」と言わんばかりに主張するのよ。もう好奇心は止まると死ぬんじゃ。
しかし、恥ずかしながら、ゲームにハマるに連れて学校の成績は悪くなっていた。ローマ字はローマでしか使わないと思って頭のキャパシティに入れなかったし、英語の読み書きはローマ字覚えてないからと雰囲気でゴリ押ししていた。
そうして点数が悪くなればなる程、却ってゲームに没頭したものだった。
中学も半ば、この頃にもなるとゲームセンターのアーケードが発達していた。
PCゲーム以外にはオンライン機能も少ないこの時代、スクリーンに映し出されるネット対戦の興奮は今も忘れられない。
だってよぉ、ゲーム機に置いたカード動かすと画面のキャラが移動すンだぜ? 狂うよ。
クイズマジックアカデミーや三国志大戦、LoV、悠久の車輪、カードビルダーに戦場の絆…まだ無数のタイトルがあるがココまでとする。(いつか語るやも知れない。)
或る友人は、休日には我が家に寝泊りして閉店まで遊んでいたが、それ程に魅力的な場所だったと思う。
そら成績落ちますわな、面白いんだもの。
しかし、私に取ってはゲームが絵を描くキッカケになった分岐点でもある。
最古の記憶は保育園の頃。「がんばれゴエモン」をよく描いていたと思う。
小さな身体の私は、ゴエモンをヒーローだと思い込んでいたのだ。オイオイオイ、止めとけ彼奴は義賊だ。
俺は花林糖の粉レベルだが、何だかんだ今周りと繋がっているのはあの頃の知識や経験だったりする。
人によっちゃ全く不要な要素でも、案外、この世に無駄な事なんざ無いのかも知れんな。
点と点の結び方は直線じゃあなくたって、グネグネ曲がった塗り潰しでもエエんじゃない。何言ってんだコイツ。